2009年8月6日
広島市 原爆死没者慰霊式。
平和祈念式典参加。
1年とても早く感じます。今年も、この日が訪れました。
20歳の時から参加し続け、僕にとって、今年で8回目の式典参加です。

8月5日。羽田空港 待合ロビーにて。広島空港行き。
僕は、ANAが昔から好きです。飛行機会社の顔である、客室乗務員の方に、僕は好印象を持っています。
翌日が平和式典の為、早朝便なのに、いつもより乗客数が多い。ほぼ満席。

広島城にて。






宿泊先、「リーガロイヤルホテル広島」26階の自室より広島市内を眺める。

広島電鉄(通称:ひろでん)




広島平和公園内にある、「原爆の子の像」
このモデルとなって人を皆さんは知っていますか?
佐々木 禎子(ささき さだこ)さん、<1943年1月7日〜1955年10月25日永眠>広島市に住んでいた原爆の被爆者です。1945年8月6日、佐々木 貞子さんが2歳の時、広島市に投下された原子爆弾により、爆心地から1.7kmの自宅で黒い雨により被爆した。
同時に被爆した母親は、体の不調を訴えたが、禎子さんは、不調を訴えることなく元気に成長した。1954年8月の検査では異常なかった。しかし、11月頃より、首の周りにシコリが出来始め、1955年1月にシコリがおたふく風邪のように顔が腫れ上がり始める。
病院で調べるが原因が分からず、2月に大きい病院で調べた所、白血病であることが判明、長くても1年の命と言われ入院した。
1955年8月、名古屋の高校生からお見舞いとして折り鶴が送られ、禎子さんだけではなく、多くの入院患者が折り始めた。病院では折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じてツルを折り続け、8月下旬に折った鶴は1000羽を超える。その時、貞子さんと同じ部屋に入院していた人は、貞子さんが「もう1000羽折るわ」と聞いている。その後、折り鶴は小さい物になり、針を使って折るようになる。当時、折り紙は高価で、折り鶴は薬の包み紙のセロファンなどで折られた。
禎子さんが生前、折った折り鶴の数は1300羽以上(広島平和資料館発表)とも、1500羽以上とも言われている。実際の数については、遺族も数えておらず不明である。
また、三角に折られた折りかけの鶴が12羽有った。その後創られた、多くの創話により1000羽未満の話が広められ、折った数に関して多くの説が出ている。

広島に来たら、
絶対、お好み焼き、食べよう★

広島駅から、徒歩5分くらいの場所にある、お好み焼「てっ平」さん。
広島に来たら、必ず食べて行きます。メニューも豊富です。
(注)営業時間は、21時頃まで。
お好み焼
「 てっ平 」
TEL 082−264−4530

明るく、お話上手な、「岡 健司」店長と。
こんな夜遅い時間帯でも、(23時頃)どこかお好み焼き屋さん、やっていないかな〜・・・・。繁華街を探しながら歩いていたら、偶然見つけました★
今年、初めて立ち寄りました。
メニュー豊富なお好み焼きはもちろん、鉄板焼きのメニューも豊富。新鮮な海の幸を、お手頃価格で、目の前で作ってくれます。
夜遅く、広島に着いても安心★夜中に営業している「ポッポ」さん。大半の広島のお好み焼き屋さんは、日中しか営業していない・・・・。夜中広島に着いたら、「ポッポ」さんで決まり!!
広島に来たら、僕は必ず!2種類以上のお好み焼きを、1店舗で食べます。2種類以上食べれば、来年(1年後)また広島に来るまで、広島のお好み焼きの味を忘れないからです(笑)
お好み焼き・鉄板焼き
「 ポ ッ ポ 」
〒730−0021 広島市中区胡町2−12 広栄ビル地下1F
TEL 082−247−7731